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破れないカーテンも壊れない壁も
この世には無い・ベルリン封鎖


 
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2008
825日号

アメリカの真相画像
 Processing : Planet Terra Memoirs, the-cosmos.org

Almost 60 years ago, the U.S. Air Force launched an operation that relieved some 2.5 million beleaguered Berlin residents and stretched the Soviet Union's Iron Curtain at its seams.
In the largest humanitarian mission in Air Force history, "Operation Vittles," also known as the Berlin Airlift, delivered more than 2.3 million tons of food, fuel and other supplies to residents of the German capital.
This massive aerial effort, jointly carried out by U.S. and British air forces from June 1948 through September 1949, was born of post-World War II tensions between the allied powers and the Soviet Union.
At the war's conclusion, the victors divided Germany into four occupation zones: the American, British, and French zones in the west, and a Soviet zone in the east.
Within the Soviet zone lay Berlin, which also was divided into four sectors, each administered by one of the wartime allies.


 およそ60年前、アメリカ空軍は、約250万人の攻囲されたベルリン市民を救って、ソビエト連邦(以下ソ連と表記)の鉄のカーテンの縫い目を広げる計画に着手しました。

 空軍史で最大の人道主義任務では、「糧食作戦」(別名、ベルリン大空輸)で230万トン以上の食物、燃料、その他の必需品をドイツの首都市民に届けました。

 1948年6月から1949年9月までアメリカとイギリスの空軍が共同で行ったこの大規模な航空成果は、西側連合国とソ連の間にあった第二次世界大戦後の緊迫した対立から生じました。

 戦争の終結で、勝者は、旧ドイツ国土の東側をソ連が占領し、西側をアメリカ、イギリス、フランスの連合国が占領して4つに分割しました。

 また、ソ連の占領地内にあったベルリンもそれぞれの戦勝国が、4地域に分割して管理していました。
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 人は、未来永劫続くものを夢想します。

 けれども、生あるものに死があるように、ロシア共産主義の鉄のカーテンも綻び破れ、ベルリンを固く遮った無機物の壁も、時の流れの風に粉々になりました。
 時の権力者は、希有の夢想家でもあり、事実に盲目で、真実に聾唖で、誠実な行動が寝た切りになります。
 特に、イデオロギー・空論主義者に多く見られる肢体不自由の精神病です。
 さらに、臆病台風に晒されもします。
 国民を虐げ続けるがために、その反撃を恐れ見せしめの虐殺を繰り返します。
 権力の座についたならば、遠くない未来に引きずり下ろされるのが宿命です。
 それは、死でもっても避けられない真理です。
 今の存在は、消滅の未来に至る時間の経過に過ぎないのです。

 生が無ければ死は無いし、死が在るから生が在ります。
 光が無ければ影は無いし、影が在るから光が在ります。
 艱難が無ければ歓喜は無いし、歓喜が在るから艱難が在ります。
 過去が無ければ未来は無いし、未来が在るから過去が在ります。
 真相が無ければ虚偽は無いし、虚偽が在るから真相が在ります。
 暖かさが無ければ冷たさは無いし、冷たさが在るから暖かさが在ります。

 存在が無ければ消滅は無いし、消滅するから存在するのです。

 天地神明といえども、この真理を逃れることはできません。

 人の悩みの一つは、この真理に目を背けることにあります。


 神道の神器の一つが、何故鏡なのか、答えが、そこにあります。
 人は鏡を見ないこともできるけれども、鏡は人を映し続けます。たとえ粉々になろうとも。


 2008年8月25日 t.sasaki

 建物が、飛行経路の道に立っていました。航空機の車輪が、時々、実際に屋根をこすりました。

 さらには、仮設滑走路が途中で切断されたりして、ブレーキが遅れオーバーランも多発しました。

 飛行では、少なくとも着陸する20秒前まで滑走路を見ることができなかったけれども、レーダーが素晴らしい働きをしました。

 無期限に持続する大規模な空輸が、戦争または撤退で唯一の選択肢と、作戦の最初の月にアメリカ当局者の確信になりました。

 その後の40年間続いたアメリカ対ソ連の関係を定めるチェス風冷戦における最初の演習のひとつと見なされ、人道主義と空論主義(イデオロギー)の任務で関係するプレーヤーの定義になりました。

 ベルリン市民の自由とその延長線上のヨーロッパで自由な人々のためには、例え如何なることであろうとも、アメリカが必要な支援を決定し行うことを証明したという点で、冷戦での分岐点となる出来事でした。

 歴史は、その関与の成功を証明しました。

 当初、基地の地上職員の多くが、元ドイツの捕虜と飛行場のテントで暮らす難民で、滑走路建設で使う金属の重量の誤計測もありました。
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 救援作戦の初期に、西ベルリンのエルンスト・ロイター市長は約300,000の群衆を前に、今日有名な「絶望の時代思潮」を捕らえた演説をしました。

 「この世界の人々は、この都市を見てそして、この都市とその人々を捨てるべきではなく、捨てることができないと知ってください!」

 ロイターは、戦前にドイツ議会が使っていた焼け落ちた帝国議事堂で不安定な背景を嘆願しました。

 観衆は、彼の嘆願を聞き、西側連合国も聞きました。

 封鎖を破るにあまりに少ない地上軍と250万人の西ベルリン市民の生き残りをかけて、西側連合国は、空に目を向けその答えを得ました。
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 多くの歴史家は、ヨーロッパでのロシア共産主義の影響範囲拡張で、西側連合国の弱点を利用する試みとして、ヨシフ(ジョセフ)・スターリン(ろすけ盗賊の虐殺首謀者)とソ連の略奪独裁権力亡者どもが、攻撃的な規制を課したことに合意しています。

 西側連合国の反応は、即時でしたが、原子兵器のその独占にもかかわらず、アメリカにはほとんど選択肢がありませんでした。

 ベルリンは、ソ連が支配するドイツ内部深くにあり、また、アメリカはヨーロッパでおよそ2つの地域を管理していました。

 ろすけ盗賊スターリンは、地上力で切り札を持っていました。

 一方で、外界から隔離され飢餓と重要な原料の欠乏に直面した西ベルリン市民からは、救援を求める訴えが発せられました。
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 古い映像を見る人は、たぶん、第二次世界大戦の大規模な破壊の後が、どのようだったか想像することが難しいかもしれません。

 当時の市民は、瓦礫の中で生活を見いだし復興の困難な仕事を開始しました。しかし、まさに、生活がゆっくり正常な様子に戻った時に、冷戦は既に前の同盟者の間で煮えたぎっていました。

 戦後の西側の通貨改革に腹を立てたソ連は、1948年6月24日に道路と鉄道と河川を封鎖して、ドイツ首都の西の部分に対する西側勢力の水陸の交通を妨げました。

 それは、250万人以上のベルリン市民と西側連合国の兵士数千人を飢えさせる作戦でした。
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 最も忙しい日には、13,000トンを届け、その総トン数は、封鎖前の地上での輸送に相当しました。

 空輸は、アメリカ空軍がそれまでに行った最大の人道主義作戦でしたが、その空軍は、作戦の僅か9か月前に陸軍から独立したばかりでした。

 著名なアメリカの歴史家パメラ・フェルタスは、1992年と1997年の間の戦争で混乱したサラエボへの空輸が179,910トンで、ベルリンに1ヶ月間に運ばれた量よりも少ないと書き留めています。

 さらに、「ベルリンは、戦争と占領によって破壊されて、それは市民の誇りと清廉の始まりでした」と、アメリカ軍の百年で続けて書いてます。
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 1948年6月26日、封鎖2日後に、C-47ダコタ軍輸送機がドイツの首都へ離陸し、ベルリン大空輸が開始しました。

 作戦初日に、C-47は32回の飛行で80トンの貨物、主として粉乳、小麦粉、医薬品を西ベルリンの連合地域に運びました。

 ベルリン市民は、この作戦を「空の架け橋」と呼びました。

 それは、何トンもの供給に加えて、24時間ノンストップで包囲された都市への飛行を特徴としました。
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ベルリン大空輸写真資料
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 また、敗戦したドイツ職員は、アメリカ兵など西側連合国に対する好意も希薄でした。

 けれども、日々の大空輸作戦を目の当たりにし、自由世界の同胞の一員の意識を強め始めました。

 10ヵ月の任務の間、500機以上のアメリカとイギリスの大型貨物輸送機が277,569便を遂行し、最終的には平均して90秒毎に1便の飛行となりました。

 そして、ベルリンに食物、石炭、その他の必需品を2,325,509.6トン届けました。

 大型貨物輸送機は、また市の内外へ227,655人の乗客を輸送しました。
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 ベルリン市民は、西側が飢餓に見捨てるのを恐れて、感謝は、さらに残存しました。

 空輸作戦が、ベルリン市民、西ドイツ国民そしてヨーロッパの自由世界とアメリカの関係を固めたことは明白です。

 ベルリン大空輸の重要性の強調は、自由社会保護者にとって確固たるものでしょう。

 そして、それは、疑う余地なく自由世界の歴史でその重要性を保持されるでしょう。


 しかし、このベルリン大空輸作戦では、アメリカ軍だけでも32名の『戦死者』がありました。



 この写真で女の子が抱えているのは、大空輸で運ばれた小麦粉で作った配給のパンです。

 包んでいる新聞紙の袋は、ソ連の検閲を受けた当時の新聞で、「役に立たない空輸」という見出しがついています。

 ソ連にとっては何の役にも立たない大空輸作戦でしたが、外界から隔離されたベルリン市民250万人には、生存への自由が届けられました。
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鉄のカーテンの綻び ベルリン大空輸作戦
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